3.11 震災当時を振り返る(2日目)
3月12日
地震発生から夜が明けた。
余震はずっと続いてたと思う。
携帯の電池切れを何とかしたかった。
何を思ったか俺は、auショップに行けば、充電できるのではないかと考え、近くにあるauショップに車で向かったのである。
もちろんあの震災直後に営業などしているわけが無い。
本当にアホだ。
そのあと、このまま高速使って実家に帰れないだろうかと、高速入り口に行ってみるが、通行止めになっていた。
信号が停止している道を運転するのはかなり危なかった。
人が横断歩道を普通に渡ってくるからだ。
帰ることを諦め、自宅に戻った。
ここから2日目と3日目の記憶が曖昧なので、記憶を混同して書くかもしれないが、ご了承願いたい。
家の周辺を歩いて周った。
近くのコンビニに行列ができていた。
営業するかどうかも分からない状態だったが、みんな並んでいたね。
新聞がコンビニの窓ガラスに貼られていた。
「史上最大のM9.0」みたいな見出しだったと思う。(のちに「史上最大」ではなかったという訂正があったような)
その新聞に津波の被害も載っていたと思う。
情報を得るため、近くにある市民センターに向かった。
ラジオがかかっていたが、あまりこれと言った情報がなかったように思う。
近くに小学校があったので行ってみると、簡易トイレができていた。
作りはほんとに簡易的で、鉄板みたいな台の中央に穴が開いていて、周りをシートで覆っているだけだった。
なので、臭いはだだ漏れ。
汚かったし、メチャクチャ臭かった。
体育館で水と乾パンを配っていたので、一応貰っておいた。
近くの生協で営業しているのを知り、行ってみるとものすごい大行列ができていた。
どのくらいかというと、ディズニーなどで人気アトラクションの混雑時の行列、とでも例えたら分かりやすいだろうか。
買うまでに4時間ほど並んだだろうか。
それで買えたのは2Lのソフトドリンク1本と、チョコレート2、3枚と、他にお菓子2、3個程度だった。
カップラーメンが売っていたが、お湯が沸かせないんじゃ意味が無い。
菓子パンはすでに売り切れという状態だった。
公衆電話から無料で電話がかけられるという情報を知り、コンビニに設置されていた公衆電話に向かった。
やはり人が結構並んでいた。
俺も列に並び、実家に電話をしてみた。
向こうも停電なのか呼び出し音は鳴ることがなく、話中のような状態になってしまう。
また列に並び直し、またかけるもやはり繋がらず。
この日は電話を諦めた。
日が暮れてくると、全くやることが無くなる。
真っ暗な中でただ布団に包まってるしかないのだ。
話す相手もおらず、ひたすら耐えるのみだった。
ロウソクすらも持ってなかったので、本当に真っ暗だった。
真っ暗な部屋というのは結構ツライものだ。
しかも寒い。
寝るしかないので、早めに寝てこの日は終わった。