働きたくないコミュ障ぼっちの日常

一人暮らし30代独身男の日常の出来事、コミュ障や仕事の悩み、日々考えてることなどを綴る日記です。

3.11 震災当時を振り返る(3日目~4日目)

3月13日

震災3日目だが、電気はまだ復旧していなかった。

電気さえ復旧してくれれば、電子レンジでお湯を沸かすことができる。

とにかく「早く電気復旧してくれ」と思っていたね。

 

朝から近くの市民センターに向かう。

ラジオと新聞から情報を得るためだ。

この日だったか前日に、仙台市の荒浜地区に200~300の遺体が浮いているという情報を耳にした。

かなりショッキングだった。

俺はまだこのとき、津波の映像を目にしていない。

 

市民センターを後にし、また公衆電話に向かった。

この日もかなり並んでいる状態だった。

3回ぐらいトライし、3回目でようやく実家に繋がった。

電話に出たのは祖母だった。

取りあえず、無事だということと、携帯は電池切れで繋がらないということを伝えた。

 

トイレに行くためだったと思うけど、近くの小学校に向かう途中、おじさんたちの会話が聞こえてきた。

放射能の雨が降る」というような話をしていた。

この時あまり分かってなかったが、前日に福島原発の1号機が爆発していたのだ。

地震でも甚大な被害が出たけど、原発事故でも同じぐらいのレベルで被害が出ているんだよね。

この件については書くのを割愛しとく。

 

2日目と3日目どっちでの行動だったか忘れたけど、車にガソリンを入れようとガソリンスタンド行った。

給油待ちの車の長蛇の列ができていた。

路肩に車が延々と続いているのである。

ほんとに異様な光景だった。

こういう光景を目の当たりにすると、「ああ、ほんとに災害なんだな」と改めて実感させられた。

給油にはもちろん制限があった。

半分ぐらいまで入ったのかな、確か。

後からいろいろ聞いたら、夜中に他人の車からガソリンを抜き取るっていう犯罪が横行してたらしい。

それぐらいガソリンは不足していた。

 

この3日間風呂には入っていなかった。

顔を拭くシートがあったから、それで体はある程度拭いていたけど、

頭だけは洗うことができなかった。

なので、頭はもうベタベタだった。

臭いもしてただろうな。

歯も磨けていなかったと思う。

 

3月14日

電気がいつ復旧しても分かるように、テレビは常に電源をONの状態にしていた。

震災4日目、朝になってなんとテレビが点いたのだ。

4日目にしてようやく電気が復旧した。

すぐに携帯を充電し、実家に電話。

母親と話せて、兄が迎えに来てくれることになった。

迎えに来るといっても、下道をずーっと通ってくるから、片道だけで8時間ぐらいはかかる。

会社にも確か電話したな。

実家にしばらく帰ろうかと思うと連絡したら、

「落ち着くまで帰っていい」と言ってくれた。

3月末ぐらいから仕事再開したんだけど、非正規だったにも関わらず、給料が保証されたのだ。

これはほんとに有難かった。

 

午後になって兄が迎えに来た。

ここから約8時間耐えなければならない。

まだまだ休まるまでには先が長かった。

迎えに来た兄もぶっ通しで運転だから、

かなり疲れただろう。

でも、迎えに来てくれて本当に助かったよ。

来てくれなかったら、たぶん食べ物が尽きてたと思う。

夜中の23時ぐらいにやっと実家に到着。

まずすぐに風呂に入った。

風呂に入れるのがこんなに気持ちいいのかと思ったよ。

 

テレビでは連日震災の報道がされていた。

津波の映像も連日流れていた。

ちゃんと映像を見たのはこの時だったのかな。

あの津波の映像はかなり衝撃的だったのを覚えてる。

死者と行方不明者で1万人を超えたなどというニュースを聞いて、「あの阪神淡路大震災を超えたよ・・・」と思ってしまったね。

 

俺が体験した震災なんか、まだ全然マシなほう。

津波の被害に遭った地域や、避難所での生活を強いられてた人たちに比べたら、レベルが桁違いだよ。

俺には何もできないけど、Yahooの検索募金には参加させてもらった。

ちょっとでも役に立てれば。

今回初めて震災体験を書いてみたけど、全然まとまってないなぁ(^_^;)